景色
2009-10-27
成績の良い子を“エライ”と称する親が多い。ま、確かに勉強ができて、我が子が難関校に入学したりすると鼻は高い。
が、しかし、“その子”は本当に“エライ”のだろうか?と思う。
単に勉強するのが、否、テストで良い成績を上げるのが上手いだけではないのか?
私の語彙では、偉いとは…社会的地位や身分などが高い、人間として、りっぱですぐれている。または程度が甚だしいの二点だ。
世間の“エライ”は前者だろう。
ということは、勉強ができるだけでは“エライ”とは定義できない。
もしできるなら、刑事罰を受けても国立大出は、尚“エライ”ということになる。
自分の限界をできるだけ伸ばそうと懸命に勤勉にたゆまず努力する…これを以て“エライ”と称したい。そして、これが腑に落ちると子どもを見る目が変わってくる。
そういう意味で我が子はある種幸せで、ある種厳しい状況に置かれている。
そんな意味では、私は子ども達がその時々のハードルを越えてゆく入試というものは格好の鍛錬になると確信している。
本当は中高6カ年一貫教育であっても高校進学時には適性検査くらいの試験はやっておくべしである。
やはり大学入試センター試験はしっかり受験してほしいものである。
これこそ全員受験させる方向は取れないのかと思わないでもない。
ひと学年に300人以上居れば国立大学に一人や二人は必ず合格する素質の子が居て当たり前である。それができないということは、“あの子はエライねん”思想に見事に騙されている。
いや、君だって、エラクなれるのに…。
エラクなったらね、違う景色が見えるんだよ…。
衝撃
2009-06-27
追っかけて聴き続けたという訳ではないが、やはりこの人に音楽ファンとして敬意を表したい気持ちは大きい。心にずっと残る曲も何曲かある。若い世代に、マイケルは、すごい人“だった”んだよと伝えたい。
突然の訃報に少なからず衝撃を受けた。
この人に纏わる色々な事件やゴシップを思い起こした。
素晴らしいエンタテイナーでありながら、なんという不遇の人生。
どうか、安らかに。。。
今宵は、やはりスリラーを聴くべしか。。。

双方向通信
2009-04-27
デジタル放送は双方向通信ができるというのが売りのひとつである。しかし、こんなものただのリクエストが出来るだけであって、テレビから垂れ流される情報の氾濫は止めようもない。
自然、受け身になる。さもありなんである。
私など、今更ながらに、ポールサイモンがもう30年以上も前に歌の文句に、
“僕の知りたいことなんて天気予報に全部載っている”と歌った感性に下を巻くばかりだ。
そう言えば、有り難くもない地デジ移行。
うるせぇ〜なと思っていた。少なくとも私にはなんの関係もない。
そのイメキャラのつよぴんが羽目を外しすぎてしまって大騒ぎである。
同情論もあるが、酒の所為にする愚行は私には信じられない。
farmとfactory
2009-04-27
当ブログにコメンターでよく登場してくださるおっくんと話していて、彼の口から出た名言である。我々はfarmでありたい。世の“塾”はfarmに非ず、factory也、と。
言い得ての妙である。戴いたm(_ _)m
そもそも“塾”という字は“土”が付く。
ウエブ辞書で引いてみれば、“ 年少者に学問・技芸を教える私設の小規模な学舎”とある。
すると、“大手塾”という存在はあり得ないという屁理屈がここに成立して愉快である。
ぐだぐだとくだを巻いていても仕方あるまい。
先日こんなことがあった。
もう高校生になってしまった、クマキッズが小学生の自習につき合ってくれていた。
その子の前に座った私が筆記具を取ってくれるように頼んだ。
言葉尻は乱暴だ。
だが、その子はさり気なく筆記具の向きを変えて渡してくれる。
正直、こんなことを言うのは心苦しいのだが、その子のここまでの学習姿勢は決して褒められたものではなかった。
しかし、私はこういう所作に頗る弱い。
春
2009-02-01
一年の計は元旦にあるそうだが、物事はやはり“春”に動き始める。春は新規事の季節である。
期待に胸を膨らませ、新しい環境に飛び込んでゆく若者。
私はたくさんのそういう若者を見送ってきた。
人生の岐路に立ち会ってきた。
出来れば、いつまでも手元に置いておきたいキッズ達。
しかし、時の流れは容赦がない。
生爪を剥ぐかのように連れ去ってゆく。
今日、元講師が古巣を訪ねてくれた。
懐かしいのか子ども達を見てくれる。
ずっと同じように暮らしてゆきたくとも、人は時として動かざるを得ない。
このベクトルは自動的なものばかりではない。他動的なものもある。
春は出会いの季節であるが故に別れの季節でもある。
今こそ 分かれ目。
いざ、さらば…とは言い得て妙である。
かく言う私も棲み家を替えた。
長年見続けた景色を捨てて出てゆくことに不思議なほど感傷がなかった。
寒さはこれからが最後の粘り。
しかし、春はそこまで確実に来ている。
物事の絶頂は、実は次なる現象の産湯となる。
春は…やっぱりうら寂しい。

