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2006/11/29 (Wed) 14:27

手ぬるいっ!

さすがに政府も緊急事態とみてか、再生委員会緊急提言だ。
※「出席停止」見送り 教育再生会議、いじめ問題緊急提言
しかし。手ぬるい。強制力を持たせなければ、結局児童相談所と同じではないか。
児童相談所が家に入り込めなくて、一体何人の死ななくてもいい子どもが死んだことか。
生け贄とは言わぬが、一体何人の犠牲が出れば本腰を上げてくれるのか?

日本という社会はほんとに加害者に手厚い。
この会議でも、加害者側にペナルティーを…という意見に対して
『教育には愛情も大切』と慎重論を採ったそうだ。
こういう、ずれた事なかれ委員が居るようでは非常態勢は採れない。
ま、メンバーをみれば話題性を重視した人選であるとは思っていたが…。

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Trackback(-) comment*2 | 分けられぬこと
2006/11/29 (Wed) 03:02

庶民の昭和史

作家さんの話を書いていて、思い出した人がいる。

実は私、本を読み出したのは遅い。
そこそこ読んではいたが、それは決して多い方ではなかった。
30代を目前にして、私は仕事上の必要で“しょうことなしに”
向田邦子女史の作品を読んだ。
入れ食いだった。

女史はシナリオライターからエッセイストになり、やがて小説の世界に踏み込んでいった人だ。
シナリオライターだけに、場面転換に妙がある。

場面、場面に仕掛けられた食材がラストで一気に一つの料理として完成する。あー、あれはこういうことだったのか!と。

そして、行間に昭和がこぼれた。
今は無き父権が専制した。
理屈抜きの暴君に育てられた多感でお転婆なお嬢さんが雑誌社に入ったことから運命が変わる。

森繁を女をたらす名人だと賞し、トットちゃんの留守電を肴にした。

決して豊かではない暮らしの中にある、平穏な人の情。
“字のないはがき”、“父の詫び状”には涙した。

よく年末・年始に“向田邦子スペシャル”と銘打った番組が組まれる。
何故かいつも“あうん”と何かの合体編である。

“字のないはがき”は是非ドラマ化してほしい。
お涙頂戴の戦争ものではなく、戦時を背景とした人間模様を
見応えのあるものとして作れるような気がするのである。
私は“火垂るの墓”は嫌いなのである。
あれは子どもに見せちゃいけない。
そんなものより、“チャップリンの独裁者”を見せて頂きたい。

向田作品に触れれば、私が何故“今はおかしい”と言い張るのかが
少しはおわかり頂けると思う。
単なるレトロ趣味ではない。
葬り去られようとしているものの復権を願うのである。
Trackback(-) comment*0 | 分けられぬこと
2006/11/29 (Wed) 02:29

言い回し

“文体”という言葉がある。
その作者にみられる特有な文章表現上の特色ということになる。
“独特の言い回し”と私は辞書に落とした。

今頃になって、また司馬遼さんの本を読み耽る毎日である。
この人の文体が私は好きだ。
彼の作品に、『…とは言わない。』というフレーズがよく出てくる。
な~んやと肩すかしを喰らう。そこに若干の息抜きがある。

また、倒置や擬人を巧みにお遣いである。
ほとほと感心してしまう。
プロに対して失礼なのだが、“うまいなぁ”と単純に思ってしまう。

彼にはたくさんの代表作があるのだが、超大作に混じってしこしこと書きためた短編やエッセイに翠玉の作品がある。
“風塵抄”がお勧めである。

司馬さんのおかげで歴史が好きになったと言っても言い過ぎではない。
その入り口は『豊家の人々』。(脱字ではありません。念のため。)

一体彼の作品を何冊読んだだろうか。
偶に、既読のものを忘れて再読することもある。
また、敢えて再読したくなる作品も多い。

私の教え子に小学生時代から司馬作品を愛読していた男子がいた。
歴史の時間は大変だった。
彼に突っ込まれても大丈夫な準備を周到に重ねるうち、
私は歴史の力量をあげたかもしれない。
負うた子に教えられ…である。

こやつの口癖、言い回しは、『何を言うか!』であった。
Trackback(-) comment*3 | 分けられぬこと
2006/11/28 (Tue) 03:59

民意不在

自民党の復党問題。
何を言ってやがると私は思う。
“帰ってきてもいいよ”
“え~~~っ。ほんと?!”
“ほんとだよ。でも〒民営は正しいと絵踏してよ”
“うん。いいよ、いいよ。それくらい。大体どっちでもよかったのよ。でもね、読み違えちゃったのよ”
“そうだよね。こっちはラッキーだった”
“うん。そうだね。”
“じゃ、そういうことで書類だしてね。今度はよく考えて行動してね”
“うん、わかってるよ。もうやんないよ。あんなこと”
“かっこつけても、ねぇ。”

ってなやりとりがあったかどうか知ったことではない。
ここで、変に格好つけたおっさんがまだ一人いる。
“僕は党に帰りたいの。でもね、一旦反対して党まで放り出されたのにね、その政策をやっぱOKですとは言えないわ”
とやっている。

本人は格好いいと思ってる。だがそれは間違ってる。
復党の話の席に着いた事自体が不細工である。
11人の正直者と1人の捻れ男。

そのどこにも国民はいない。
こんな輩に一票を投じた選挙権者はどう思うんだろうか?
聞いてみたい。
Trackback(-) comment*0 | 分けられぬこと
2006/11/28 (Tue) 03:36

本と末とが転倒したら…

国の教育方針というものは概ね何年、何十年と経ってからその是非が判明するのではないだろうか。

ここ最近、中学生、高校生の自殺が相次いだ。
去年は子どもの命が狙われた。
これも連鎖した。
子どもを守れという声が列島に伝播した。
これは当然である。
子どもの命は親と先生とで守るのが当たり前だ。

ところが、自殺を止められない。
連日、色んな識者が様々に分析する。結構だどんどんやってくれ。
しかし、だ。
今は確かに非常事態だからそれでいい。
それでいいのだが、だからといって対処療法に終わって欲しくない。
また、こんなことになったのは制度がすべて悪かったのだからと
小手先の解決を図ろうとする。
これが日本人のだめなところ。

まず冷静に事態を受け入れ、じくり時間をかけて正すべき点、治すべき箇所があれば変えてゆけばいい。

騒いでいる。何もしてないように思われるから取り敢えず何かした。
これの繰り返しではなかったか。

子どもを預かる現場に“先生”が不在なのである。
そして、私達のような年代の子どもよりも今の子ども達は
圧倒的に精神年齢が低い。
このことも一因になっているかもしれない。

カリキュラムの問題でも、先生の採用方法にも
自殺の原因はない。

寂しくて寂しくて心細い子が、そして大人までが死んでゆくのである。
隣にいた人の悔恨は生涯消えないだろう。

年間、3万人。これは尋常な数ではない。
学校だけではない、日本そのものがおかしくなっているのである。
本末をひっくり返したような小手先療法は絶対に許されないのである。
安倍ちゃんは大変な時に首相になったものだ。
Trackback(-) comment*0 | 分けられぬこと
2006/11/27 (Mon) 03:08

天賦の資質

私は飽き性だが、こうと決めたら一途で浮気はしない。
しかし、今年、長年お願いしていたカットマンに見切りをつけた。
髪の毛というものは下手に切られると伸びて来るまで大変手強い。

本来の切る技術とは関係のない事情で店を変えた。
今度のカットマンは好漢であり、ユニークである。
しかし。カットの技術は前の人が上だなと思う。
何だろう?毛を切るときの一瞬のそのまた一瞬の刃の動き?
髪に当たるハサミの角度?
前のカットマンは初めて切ってもらったとき
最初に髪の毛に触ったその瞬間に“こいつはできる!”と直感した。
しかし、彼は月日と共に世間をなめだした。
私の最も嫌うところである。
惜しい才だ。

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Trackback(-) comment*0 | 分けられぬこと
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