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2006/12/31 (Sun) 13:36

大晦日(おおつごもり)

今年もまもなく終わる。
平坦ではなかったが、一応無事に今ここにいる。
運気を見る人からは『今年は悪いので、自分から行動を起こさぬように…。』と、釘を刺されていた。柳のように、なすがままに…と。

今日はおおみそか。
『つもごり』とも言うが、実は『つごもり』が元々の言葉である。
『つもごり』は『つごもり』の音変化らしい。
私は、『つもごり』の語感の方が好きだ。
これは晦日(みそか)のことであり、だから12月31日は『大』晦日ということになる。

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Trackback(-) comment*0 | 分けられぬこと
2006/12/31 (Sun) 01:41

一年の計

今日と明日は連続した二日であるが、今日は大きな区切り目。
年が変わるということは、清々しい気分になるものだ。

“一年の計は元旦にあり”と言う言葉があるが、私は根暗な人間故、
どうしても顧みる方に重きを置いてしまう。

印象に残ったことは何か?と問われれば、やはり子どもの自殺が相次いだことだろう。
受験はそれ自体が子ども達に負荷を掛ける。
また、無事に合格しても入学してから後にしんどい事が待ち受けているわけである。
そう考えるとやるせい気持ちになる。

早い話、自分が送り出した子が自殺でもしたらどうしようかと心配になる。
学校でいじめに遭っていないかとも思うのである。
だからこそ強い子に育てたいと思う。
強く育てようとすると厳しい指導になりがちだ。
こういうジレンマに陥るわけである。

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Trackback(-) comment*5 | 分けられぬこと
2006/12/30 (Sat) 12:54

言の葉

日本語という言語は文字を大陸から戴いたという気後れはあるものの、その後はまじめに自己流で錬磨を重ね、今では屈指の高度な言語となっている。

さて。
数日前、子ども達に名前の呼び方について話をきいた。
学校での話である。

私の頃は、教室では名字の呼び捨てが多かった。
そして、これも私にしたら至極当然であるが、
親の前で私のことを指して言うときは下の名前に“君”がついた。

子どもも親も鈴木さんだとする。
子どもの話をしているんだから、鈴木君じゃなくて“イチロー君”になるわけだ。

当節、教室では下の名前を親しみを込めて、或いは許されし特権と勘違いして呼び捨てにするらしい。(大阪市内の公立に目立つ)
そして、親と話をするときもそのまま、“アキオ”だとか“ユミ”だとか呼び捨てなんだそうだ。
これがもう私には理解できない。

あんたは親戚でも保護者でも何でもないわけで、親に対してその子を呼び捨てとは常識はずれもいいとこである。

因みにどんなに親しい友人でもこれはしてはいけないので、念のため。

さて、大阪のある共学校からお手紙が来た。
この年の瀬に。
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Trackback(-) comment*2 | 分けられぬこと
2006/12/27 (Wed) 03:47

擽り

レクサスのCMをご存じだろうか?
あれは、レクサスに乗っている自分が好きでしょ?と
言いたげです。

見通しの悪いカーブで障害物がある。
そこに入ってきたクルマが安全にそれをかわす。
“ほら、レクサスならいとも簡単に、安全にそれができます”と無言の吹き出しが言う。

また、タンクローリーのおしりに我が愛車を映す。
ビルのガラスにも映る愛車。
ゆっくり走ろう。本気になったら速いのだからと
テロップが擽る。
…そっくりだ。BMWのCMに。

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Trackback(-) comment*0 | 分けられぬこと
2006/12/27 (Wed) 03:11

猫の首…

ずっとクマブログを見て戴いている方は、ここ最近一つのエントリーでコメントの遣り取りが続いていたことをご承知だと思う。何か少し排他的かなとも案じたが、この遣り取りは受験に関する数字にならない“情報”を提供できたと、私はそう確信しています。教員A先生、ご賛同に感謝いたしますm(_ _)m

さて。
この遣り取りの最中にずっと感じていたことを忘れないうちに書き留めておきたい。
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Trackback(-) comment*4 | 分けられぬこと
2006/12/26 (Tue) 02:52

キョーセイ ライブ

私は大まじめで子ども達と遊ぶ。
いや、勉強よりも遊びの方が真剣だったりするかもしれない。
で、こういうことを下手に言うと反感を買う。
真意はそこにない。

遊びもまた学びの場となることが多い。

例えば、夏合宿での釣り。
あんなものは中学受験とは全く結びつかない。
そして、私は子ども達の機嫌を取るためにあんなしんどいことをしているのではない。
涼しい部屋で昼寝している方が楽である。

ルアーなんていくら奥琵琶湖でもなかなか釣れない。
それでも彼らは夢中になる。
粘る。工夫する。あるいは人のやり方を盗む…。

手を使う。思考をする。
そして、汗を掻き、疲労を覚える。

そんな時に釣れたら、害魚だろうが彼らには至福の瞬間。
“クマ!釣れたっ!!”と絶叫する。
その笑顔が全てを忘れさせてくれる。

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Trackback(-) comment*0 | 分けられぬこと
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