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2007/06/29 (Fri) 03:40

もう一言

米国下院の対日従軍慰安婦謝罪問題に関して。
こういう問題こそ、政治責任が問われるものである。
安倍政権の力量の示し所。
是非、怯まずにやってほしい。
衆議院議長が宮沢さんの訃報に引っかけて(非常に無礼千万であるが…)、所属する党の総裁批判をしている。
これも秩序として許せまい。

タカ派だとか、右よりだとか言われながら
就任以来そんな姿は拝見できていない。

どっち派よりでもいい。
日本にとって屈辱にならぬ姿勢を貫いて欲しい。
今、踏ん張っておかないと、将来に禍根を残すことになる。
対米で?いや、対中・韓である。

もう一つ。
社保庁の怠慢極まりない年金行方不明事件についてだが
こんなもの現首相に何らの責任もない。
ボーナスもらいなさいよ。
返納するのは歴代首相と厚生大臣である。

それと役人?
いやー、もう、ねぇ。。。この人達にねぇ、何か言ってもねぇ、
どうしようもないですね。

自分のカネと他人のカネと区別ついとらん。
いや、違うか。
他人のカネにだけ麻痺しとるのか。
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Trackback(-) comment*0 | 分けられぬこと
2007/06/29 (Fri) 03:16

間尺

動物界では、巣立ちの時期が来ると、それまでの命懸けの子育てがまるで嘘だったかのように、親は冷たく子を突き放す。
また、高等動物ほど子どもをたくさん産まない。
連鎖上の上位に位置し、知能も高く多産である必要がないからだ。

さて、人間はどうか。
日本は今、人類史上でも稀なほど急激に少子高齢化していることは
周知の事実である。豊かである証なのだ。

アメリカでは、ほんの数十年前まで社会的弱者だった黒人が、今では少子化だという。

何故、人は豊かになると子どもを産まなくなるのだろうか。
色々な要素が考えられるのだろうが、
社会が豊かになると、母性・父性の本能が落ちるのではないかと
私は思っている。

お金も時間もあって、精神的に余裕ある現代日本人。
であるのに、子どもを産まない家庭が増えている。
欲しくないのだろうか。

あるいは、そういう退廃的な社会的雰囲気が、先進国には醸し出されてくるのだろうか。
この辺りになると最早私の手には負えない。
社会学の領域かもしれない。

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Trackback(-) comment*0 | 分けられぬこと
2007/06/29 (Fri) 02:04

さらば、イチロー

29日でイチローの背番号を一つ上回ってしまった。

薬などほとんどない昔は、人生五十年生きれば御の字だと言われていた。
事実、四十代で早々に隠居など珍しい話ではなかった。

今、司馬さんの風塵抄を読み返しているのだが、
その中に『四十の関所』が収録されている。
司馬さんも四十代はしんどかったようだ。

昔は男の本厄は、よくぞここまでと祝ったそうな。
今じゃ、これからも生きながらえるようにと、色々縁起を担ぐ。

たばこをやめたと大きな声で言い放っているが、自転車に乗っていると
後ろからさっと抜き去られる。
ん?!と思って見ると、おじいさんがたばこ吸いながら駆け抜けていく…。(;´д`)
ま、こんな人にはたばこは合っているようで…。

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Trackback(-) comment*0 | 分けられぬこと
2007/06/28 (Thu) 03:32

受験テクニックとしてではなく…

私のような在野の教育者の切れっ端でも、
子ども達の国語力低下には憂いを持っている。

読み、書く力の差は、天井とボーダーでは
差が広がっている気がするのである。
このボーダーがどんどん下がることが危うい。

そもそも教育なり勉学なりというものは
すべて文字から取り込んでゆくものである。
“書物”を読み、紙に書き留め、頭に整理する。
話し言葉、書き言葉ともに鍛えられたものだ。
夜になれば、文字など読めない。
そんな不便な世の中でも人の学びへの欲求は費えることがない。

戦時下の子ども達の希望は、“学校”である。
しかし、先進国の子どもには、不登校が流行る。
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Trackback(-) comment*0 | 分けられぬこと
2007/06/28 (Thu) 03:19

貧相な書架

例えば、世の中の人を大別するとき、
本好きか否かというグループに分けたとする。

乱反射的に言えば、私は本好きに属する。
しかし、少しピントを合わせれば、非常に限られた分野において本好きであると分類できそうである。
まぁ、つまりは歴史小説にその根っこがあるわけだ。
最近では、最早他の分野のものには手を出そうとしない節が感じられる。


そうは言うものの、これでも元気な頃の筒井康隆などは好きだった。
あのおっちゃんの視点は面白かった。友人がゴキブリの視点だと言ったのが言い得て妙である。
“融合家族”などは、電車の中で声を上げて笑ってしまった。

さらには、中島らも。
灘中、灘高、大阪芸大という、灘始まって依頼の輝かしい学校歴。

何がすごいと言って、自分が灘生であることに微塵も誇りも持たないところが自然体でいい。
芸大も無試験だと友人に誘われて行ったらしい。

晩年は気の毒なくらいに衰弱していた。
やはり頭が良すぎるのも考え物らしい。

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Trackback(-) comment*0 | 分けられぬこと
2007/06/27 (Wed) 02:00

母の舌

今日の国語で、いい文章があった。

曰く、
子どもに言葉を教えるのはお母さんである。
お母さんがいっぱい子どもに話しかけて、子どもは言葉を覚える。
話し方を体得する…
と。

母国語。
英語で『mother tongue』という。
直訳すれば、『母の舌』ではないか。

本質は変わっていない。
方法論が変わったのである。

小さい頃からあちこち連れ回し、よかれと思って詰めた幼児教育。
極論すれば、それを削ってでも、お母さんと過ごす時間の方が
よほど貴重ということか。

手前味噌だが、このことだけはおかんに感謝している。
よく、テレビを見ながら、ぽつんと言葉の美しさを語ってくれた。
それは教えるという姿勢ではなく、一人ごちたという感じだ。

俳句に関してもよく語っていた。
これほど短い言葉でこれほどいいたいことを凝縮しているものはない。
綺麗な俳句を目にすると歯ぎしりする思いだと言う。
なるほど。然り。

…ほととぎす ほととぎすとて 明けにけり…

あんた、これ意味わかりまっか?と
よく聞かれたものだ。

産みの苦しみだな。
言葉を捻り出す。絞り出す。
言えそうで言い切れないもどかしさ。

そこがまた言葉の良さでもある。
それを言い切る妙に感嘆する。

日本語の良さをきちんと子どもに伝えなければいけない。
知識など、後からやっても間に合うのである。
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