躾
2007-08-29
『しつけ』とは何と美しい字を当てたことだろうか。身が美しくなるように育てるから躾…。
私達はこういう風に字を一字見ただけで中身がわかる言語体系を持っている。
ウラルアルタイ語系の民族である。
モンゴルとは源流を一にしている部分が多い。
顔も似ているし、蒙古斑もある。
モンゴル出身のお相撲さんは日本語が非常に流ちょうであるのには舌を巻く。
しかし、日本的な躾、教育という観点から見れば、どうやら基準が違うらしい。
結局、朝青龍は故郷に帰って治療するそうだ。
よほどモンゴルは精神科のレベルが高いのであろう。
男気を売る稼業、日本相撲協会。この体たらくである。
親方がモンゴルまで送迎し、その間向こうで『何かあったら』今度は厳しく処分だそうだ。
ガラスの横綱、だな。こりゃ復帰後が楽しみだ。
大学
2007-08-28
“水増し”から“上乗せ”と表記がソフトになった。流石は社会の公器たるThe Asahiである。
品格が違う。だから余所の新聞に替えられない( ̄┰ ̄*)ゞ
“我々選ぶ側”の根拠が変質する。いや、数字に細かくなるだけか。
そもそもそんな観点だけで中学(高校)を選ぶという事自体、私には賛成できかねる。
ある子のお父さんが面談で私にこう仰った。
“あの坂。体調が悪い時に、頑張って行こうという気が失せはしないかと心配だ…”と。
改めて今その言葉の深みを感じている。
学校というものは文化であると私は主張する。
学校然とした場所に建ち、どっしりした佇まいがほしい。
子ども達を包み込む入れ物には大切な要素である。
子ども達がその学校にどう通ってくるか。
これは先生方が結構忘れている観点である。
通学路、持ち物、制服、身だしなみ…。
私立なら口喧しく言わねばならぬ。
そして同時に私学らしい“遊び”もほしい。
ここがセンスである。
残念ながら関西の学校にはまだない。
(多分)復活
2007-08-28
日曜日。油を極力使わないナポリタンを恐る恐る食べた。大丈夫だった。
こういう風に何か一点集中で食い物が欲しくなったり、
変にモノに拘ったりする時、私には変調が訪れる。
大概は御免被りたいものばかりであるが…。
盲腸を切った時、夏だったのが、高校の帰りに友達にこう言った。
“ぜんざいが食いたい!”と。
探し回ったが帰り道には見当たらず、しぶしぶ帰った。
その深夜、のたうち回るほどの激痛に見舞われた。
たばこを吸っていた頃、無性に他のたばこが欲しくなることがあった。
そういう時は数日のうちに必ず風邪を発症したものだ。

