写真
2009-02-26
ちょっとカメラのことが解れば、人間の目というものが如何に優れているかを思い知ることになる。カメラの進歩は、そういう意味で言えば、人体への挑戦である。
決して、同じになれることはないがちょっとでも近付きたいという切なる思いが進歩の源なのかもしれない。
私達はどんな照明の下でもちゃんと元来の色を見分けることができる。
しかし、これがカメラではなかなかできない芸当である。
勿論、自然光が最も与しやすいのだが、蛍光灯、白色灯など実に人間が作り出したが多種多様の灯りが故にカメラは当惑する。
“色かぶりという一種のミス”を起こすのである。
逆に、人間の目では絶対に見えないものがある。
それは瞬間である。
文字通り、瞬く間の物体の動きをカメラは平然と捉える。
“肉眼”では決して見ることのできない時間をスライスにして、切り取って見せてくれるのである。
ここがカメラの良さであり、同時に怖さでもある。
心に秘めた想いがシャッターの一コマに物の見事に再現されてしまうことも少なくない。
だから写真が面白い。
そして、取ってすぐに見られるデジカメはそういう意味では病みつきになるオモチャである。
どこかで読んだ話だが…。
料理の写真を撮る。撮った後の料理は、どこか美味しさに欠けるというのである。
これに似た話を他でも聞いたことがある。
写真を撮ったら、魂を抜かれる…と、同じ迷信なのだろうか。
理由(わけ)
2009-02-26
行動心理学などという恐ろしい名の学問がある。人間の行動をパターン化し、その共通因子から背景となる心理を探ろうということになるのだろうか。
授業の終わりかけに何度も時計をチラ見されたら、“そうか、オレの授業はそんなにつまんないのかっ!早く家に帰りたいんだなっ!”と拗ねてみるより仕方がない( ̄‥ ̄)=3
しかし、そうは言っても人間の行動には必ず理由がある。
私などはそういうとこいら辺から子ども達にアプローチするのがモアベターなのかもしれない。
人間は動物界で唯一自らに決め事をし、それを守る知性と理性を持っている。
しかし、それにもやはり限度があって、行動の理由の根っこにご馳走が用意されていなければいつまでも決め事を続ける気持ちが失せてくる。
ご馳走とは、近くの存在が認めてくれるということであろうか。
あるいは、自己満足でも、自分の存在意義をそこに見いだせている間は続けられるのかもしれない。
詠み人知らずの名言を持っている。
“人は明日の朝起きる理由がなくなったら死ぬ”のだそうだ。
しかし、これとていつシャットダウンされるか解らない。
逆に言えば、だからこそ怖がらずに生きていけるのである。
わかったような、解らないような話になった。
大変…とは。
2009-02-20
ある人と話していた。氏曰く。“大変って言うでしょ?大きく変わるから大変やねんね。でも、最近の日本人は大して変わり映えしないことでも変えた、変えた!って誇大に言いますね。”
なかなか含みのある言葉である。
私らの業界大手のチェーン塾の中にも、“変えた、変わった!”組が少なくない。
ん?そんなに毎年、カリキュラムや教材を変えるってことは、じゃ、その前のシステムで習っていた子は損したってことですかい?と突っ込みたくなる。

