弦
2009-08-18
友人宅に長年?保管されていた、ジャパンメイドのギターを触らせてもらった。恐らく20年以上弦を張り替えてないとおっしゃる。
変に力が入る( ̄∇ ̄*)ゞ
結局、偶々ケースにあった予備の弦に張り替えようということになった。
張って鳴らしてみたら、驚くほど良く鳴るギターだ。
音の深みにはさすがに掛けるが、年を経たギターだけがもつ枯れて抜けた音。
なかなか味のあるサウンドである。
ヤマキにはこういうギターが多いと聞く。
私はいつもライトゲージの弦を使っている。
ゲージにはヘビー、ミディアム、ライト、エクストラライトがある。
我が愛器には『ライトかミディアムゲージのみ使用』と刻印されている。
ギターの強度によって、ゲージが指定されているのである。
私は手が小さいし非力である。だから間違ってもミディアムなぞは使わない。
どころかライトでもどうなの?と最近思い始めている。
そんなに力入れて弾かなくても、ソフトタッチというかライトアタックというか、力を抜いた方がよい音色が出る。そんな感触を最近やっと体感できるようになったばかりだ。
ギターは弦が震えて、ボディがそれを増幅して外に出す。
よって、弦は音の源流である。
その弦とは一体なんだろうと思うのだ。
それはそうと、これだけリサイクルで喧しい世の中。
どうして弦の事を指摘する人が居ないのだろう?
いや、知らぬは私だけなのか?
ギターショップに使用済み弦のボックス…なんてないですよね?
カテゴリ :男がしゃべりでどこが悪いねん!
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合宿
2009-08-10
私は合宿の案内にいつも記している。学習は講習でするものである。合宿は目に見えないテキストをこなしにいくものだ…と。
年々歳々その思いは強いものになっている。
しかし、だからと言ってクマ塾の合宿が何か専門的な教育システムを採用し、精神面を鍛えるプログラムを組んでいるかと言えば、そうではない。
親元から離れ、集団生活をするだけである。
その中で色々な経験をし、それを乗り越えることで自信を付けてもらいたいのである。
ナーバスになって泣いてしまう子もいる。
普段殆ど喋らないのに、びっくりするくらいべらべら喋る子もいる。
ご飯の食べ方、部屋の片づけ、机上の整理、友達との接し方、タテの関係…こちらが感心するくらい色んなことがある。それをすくい上げて子ども達の前に並べ、そして皆で考えてゆく。あるいは有無を言わさず捻り潰す…実際そういうことも少なくない。
殊更に小さくなる必要もないが、かといって脚を広げて座るのは行儀が悪いではないか。
つまり社会の縮図がここにある。
我々の時代は世間が貧しかった。日本が発展途上だったからだ。
だからこそ『当たり前の教育』が自然にできていた。
ところが今はそうではない。昭和がレトロと呼ばれるに至って、私ら世代から言わせれば、新人類と言えるような言葉の通じない日本人が増えたのである。
日本は繁栄を極め、それがために公達のような子女も少なからず居る。
中学受験の国語などに戦後の混乱や戦争の悲惨さ、貧困の辛さ…そういった題材の出題があるが、授業で扱うにつけ、虚しさを感ぜずには居られない。
ま、それは兎も角。集団生活。
小さな衝突や小さな感激がたくさんある。
学年を越えた連帯感ができる。
下は上を、上は下を見る。勿論、年齢のことである。

自分が小学生だった頃、できなかったことを教えている中高生を見ている私は、祖父母感覚である。
自分が教えた子がその下の子に教えてくれているのである。
これが上手だったりすると堪らなく嬉しい。

本当は漢方薬みたいなものなのだろうが、特効薬のような効き目を期待する。
その気持ちは子を持つ親としてわからなくはない。
が、そんなにすぐに変われる子は居ないのである。
心を開けっぴろげにした笑顔。
まずはこれが大切である。


