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2009/10/27 (Tue) 03:02

ぼそぼそ…

私は弦楽器が好きだ。
特にギターは大好きで、見るのも弾くのも楽しい。
ギターには実に色々な種類があるのだが、特にマーチンとギブソンが気に入っている。

いっとき、ビンテージなる中古ギターを探していた時期に色々なギターを見た。
勿論日本のギターにも目が行った。

日本のギターにも高級機がある。
ヤマハにモーリス、タカミネなんていうブランドでは20万円を超える機種は今やざらである。

レクサスが3000万を超えるスポーツカーを出すという。
まぁ、いいんじゃないの。今まで“高級”が売りの小笠原流レクサスにそんなラインナップがなかったのが寧ろ不思議であった。

私は当然そんなクルマに乗れるような身分ではない。
ないが、仮に金を持っていても絶対にそんなクルマは買わない。
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Trackback(-) comment*4 | どーってことない話
2009/10/27 (Tue) 02:33

のりピー騒動

不可解なことが世間には多い。
そんなニュース達が最早騒音と化してしまった気がして、テレビを見る時間が激減した。
ニュース以外に見るべき物が殆どない上にニュースがそんな体たらくでは当然である。
全く、大宅壮一とポールサイモンに敬意を表したい。

さて、例によって公共の電波がのりピーに占領されている。
昼間にテレビを見るのは主婦層が圧倒的に多いはずだ。
すると、のりピーに興味があるのは主婦層か?という疑問が沸く。

テレビは視聴率で動く。
今、のりピーが視聴率をたたき出すと踏んでいるのだろう。
事が表面化してからのマスコミの過熱ぶりには一種の恐怖感を覚えた。
一体全体、のりピーを失って寂しいのか、それとも“ざまぁ見ろ!”とでも言いたいのか?
そこんとこをはっきりしてほしい。(いや、どうでもいいのだが)

マスコミの報道によって民意などいとも簡単に操作できる。
怖い、怖い。

ぼーっとしてテレビを見ていたら、画面から悪い物質が飛んできそうである。
ワイドショウとバラエティーとしょうもないお笑いを専用チャンネルにしてほしい。
そしてチャンネルをもっと減らして、番組も減らして、空白時間帯があっても全く不思議ではない。
また、CM専用のチャンネルか時間帯を作ってもいいかもしれない。

そんなこんなを全部一つにごった煮にしようとするから詰まらぬ番組になるのである。
テレビをやめたら、快適です。
或いは煙草と同じくらい体にいいかもしれない。
Trackback(-) comment*0 | もの申す
2009/10/27 (Tue) 02:26

ナショナリズム?

安重根という人物をご存じだろうか?
そう、我が国初代総理大臣の伊藤博文をハルピンで暗殺した人物である。
その暗殺事件からこの10月26日でちょうど100年になるというのだ。
当時の大陸・半島ではさぞや半日感情が激化していたんだろうと思う。

が、しかしだ、仮にも同じ主義国に横並びし、国交を開いていながら、自国では100年前の暗殺事件の犯人を英雄として称える…この野太さはどうだろう。到底我々にはできない芸当だ。

ほんとうに日本人はアメリカによって骨抜きにされてしまった。クラゲみたいな国民性ではないか。

全く反省すべき点はないとは絶対に言わぬが、ここまで謝って、気も金もたくさん遣って、まだこんなことをされている。

いくらなんでも伊藤博文が可哀想ではないか。
Trackback(-) comment*0 | 一筆示し参らせ候
2009/10/27 (Tue) 02:18

景色

成績の良い子を“エライ”と称する親が多い。
ま、確かに勉強ができて、我が子が難関校に入学したりすると鼻は高い。
が、しかし、“その子”は本当に“エライ”のだろうか?と思う。

単に勉強するのが、否、テストで良い成績を上げるのが上手いだけではないのか?

私の語彙では、偉いとは…社会的地位や身分などが高い、人間として、りっぱですぐれている。または程度が甚だしいの二点だ。
世間の“エライ”は前者だろう。

ということは、勉強ができるだけでは“エライ”とは定義できない。
もしできるなら、刑事罰を受けても国立大出は、尚“エライ”ということになる。

自分の限界をできるだけ伸ばそうと懸命に勤勉にたゆまず努力する…これを以て“エライ”と称したい。そして、これが腑に落ちると子どもを見る目が変わってくる。
そういう意味で我が子はある種幸せで、ある種厳しい状況に置かれている。

そんな意味では、私は子ども達がその時々のハードルを越えてゆく入試というものは格好の鍛錬になると確信している。
本当は中高6カ年一貫教育であっても高校進学時には適性検査くらいの試験はやっておくべしである。

やはり大学入試センター試験はしっかり受験してほしいものである。
これこそ全員受験させる方向は取れないのかと思わないでもない。
ひと学年に300人以上居れば国立大学に一人や二人は必ず合格する素質の子が居て当たり前である。それができないということは、“あの子はエライねん”思想に見事に騙されている。

いや、君だって、エラクなれるのに…。
エラクなったらね、違う景色が見えるんだよ…。
Trackback(-) comment*0 | 分けられぬこと
2009/10/27 (Tue) 01:56

府庁移転

そのまんまの次に嫌いな御仁である我がチジさん。
わけのわからんことを言うてはる。

大阪の町並み壊さんとっとね。
どうしても行くんやったら大阪城も連れて行きよ(笑)
見栄えがいいよきっと。

府って、赤字じゃなかったの?
お金あるんだ。

大体において第3セクターと付くと胡散臭い。
初めっから失敗するのわかってて、入れ物立てて(それも豪華なやつを)、で、倒産して徳政令で逃げる。儲けたのは工事請負業者。。。

チジ選した方が良い。
あのチジは器ではない。

以上。
Trackback(-) comment*0 | ダサイ!
2009/10/21 (Wed) 03:51

我が身

歳を取るとどうもいけない。
まずあからさまに体が動かなくなる。動かす気も失せる。反射神経も鈍る、ようだ(本人はまだ未練がある)。さらに感覚器官も性能が落ちるのである。いやはや実に切ない。

こんな切ない気持ちがもっと早くにわかれば、この社会ももっと温かいものになる。が、この“老い”というものも経験せねば思い遣ることができない。ここが人間のミソである。

歳を取って、良くなったことと言えば…我が身を少しだけ第三者的に見られるようになったことか。ただ、断言は避ける。卑怯である(笑)が、正直でもある。

故に、その分、他人様との距離に“あそび”が出来、以前よりは寛容になったはずである…と、密かに思っている。

他人に対して寛容になれるということは、人を信用できるということだと気づいた。信用は相手がさせてくれているようで、その実は自分の側に入れ物がある。

思いは通ずるという。疑えばその通りになってしまう。
ならば、信じた方が身のためである。

そんな間合いが少しわかってきたかもしれない。
もう全力で駆け抜けることができないが、これくらいのご褒美があってしかるべきである。
Trackback(-) comment*0 | 一筆示し参らせ候
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