--/--/-- (--) --:--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Trackback(-) comment(-) スポンサー広告
2011/07/31 (Sun) 15:06

合宿、直前

今日、明日は休講にしている。
合宿は今まで月曜出発、金曜帰りにしていたが、今回は火曜の土曜にした。別に他意はないのだが…。

レクリエーションで釣りをするので、その荷物や雑多なものを先に送らせてもらっている。
荷物を詰めながら、6月の長さと7月の短さを不思議に思った。
6月の中旬に入院した時点では合宿は危うい状態だったが、大事なくここに至った。何に感謝していいかわからないが、ありがたい事である。

子供たちとじっくり向きあってこようと思う。考えを押し付けるのではなく、思いを引き出せたらいい。合宿はそのためにある。それなくしては、無味乾燥な学習になる。

最近、ひとりの子どもが私のもとを去った。
塾の先生は、子どもに対峙しながら、その肩越しの保護者にアピールしなければ信頼してもらえない。
教室はある種密室である。こちらの意図するところが正確に伝わっていないことも多い。だからといって、私は得点稼ぎに走れないでいる。

子どもと正対するしか術を知らない。
最近の世の中を見ていて寒々しいのは、対処療法が本筋であるかのごとく幅をきかせていることである。

ま、しかし。
去る者は追えず。来るものは拒まず。
まとわりつくように傍に居てくれる子が可愛くないわけがない。
それは贔屓でもなんでもない。

合宿で見せてくれる子どもたちの笑顔は絶品だ。
スポンサーサイト
Trackback(-) comment*0 | 塾のこと
2011/07/29 (Fri) 03:04

match the hatch

公立学校の先生で病気退職した人の60%が精神を病んでの退職だという。心からご同情申し上げる。愚息が公立の先生になるまでのハードルの高さを見てきた。それをかなぐり捨てて辞めるというのだからかなりの症状だろう。文科省は長時間や過酷な事務作業としているが、それだけではないはずだ。教室運営や生徒指導、そして保護者との応対。先生になろうと思うとかなり勉強せねばならず、多岐に渡る研修は受けるにしても、いざ教壇に立ってみたら、“テキストには載っていない子”がわんさかいて、思うようにいかない。正論を吐けば吐いたで叩かれる。およそ私などの知っている教場とはわけが違っているのだろう。

私は、あの給食費“不払い”という言葉を認めた気弱さがここに来て付けになっていると思う。遡れば、不登校もそうである。払わねばならぬ、行かねばならぬもの…それをできないのに、積極的に“不”という否定語を冠するこれはおかしい。また、経済的な理由でできないのならそこは国が救済してくれる。日本では金はなくとも教育はなんとかなるのである。要は、する気がないのだ。ご無体なことを言って来る御仁に太刀打ちできる人は多くはないだろう。

最近の話では、色々な支援の結果、私学においても求心力がなくなってきているという。子供を守るのはいい。しかし手を出しすぎるのではないか?サービスがありがたがられるのは最初だけである。慣れると、しなかった時に文句を言われる。先生が先生としていい意味で君臨しなければ教場の秩序は保てない。そういう意味で教育現場の先生方の苦心は如何ばかりかと推察申し上げる次第。

私が子ども達に昔ほど厳しくなくなったのもこれと決して無関係ではない。
困った時代である。
Trackback(-) comment*0 | 一筆示し参らせ候
2011/07/27 (Wed) 02:29

日本度テスト

学年を問わず、日本の常識や歴史、政治などについてテストをしようかと思っている。先日、県名と県庁所在地名を書かせてみて愕然としたからである。

このままでは日本は地図上から姿を消す。こういうことをテスト範囲として覚えさせてきた。それはいい。が、覚えていなければ周囲から厳しい視線が飛んでくる時代と違って、県の名前を知らなくても、それは計算間違いと少しも変わらないのである。ここんとこが問題なのである

わが国を愛せとなぜ教えられないのか。妙な国である。誰も愛していないから、蹂躙されても怒りもしないのである。そもそも世界史が必修で日本史が選択という姿勢が情けない。まだまだ卑屈教育が続いている。
使いもしない英語を10年も学ばせ、結果日本の姿を語れない青年を作って、何が教育かと言いたい。
Trackback(-) comment*0 | ダサイ!
2011/07/27 (Wed) 02:01

炎上

ツィッターとは何ぞやと思って登録だけはかなり以前にし、いくつか呟いてみた。
そしたらとたんにフォローが始まった。。。

今の人達は一体何をどうしたいのかわからない。誰かが、思ったことを公衆にさらす。どんなに考え抜いた書いたところで必ず賛否は分かれる。否が少数の場合はいい。が、フォローの数が半端ではない著名人はそれが一度逆転するとツィッターが炎上し、その御仁の人格まで疑われ、ちょいと可哀想な事になったりする。

乙武君がそうである。あの当時はちょっとでも震災の事で不用意な事を書けば袋叩きにあった。最近では、蓮舫だろう。この人を大の苦手としている私は炎上のニュースを聞き、溜飲を下げた小市民ではあるが…。
結局、仲良くしたいのか、あげつらう奴を待っているのか…。顔の見えない無責任なフォロアーの機嫌を伺っているだけではないのか?

フェイスブックもそうだが、どうもこの手は苦手である。

Trackback(-) comment*0 | ダサイ!
2011/07/26 (Tue) 02:29

助言

私のような年代になるとあまり人から助言を戴く機会がなくなる。
助言されるべき事は本当はたくさんあるのだが、皆さん遠慮してしまうようだ。
もちろん、裸の王様ではない…というのが前提だ。

最近、兄と姉からちょっとした事でお叱りを受けた。
それはもう助言というものを超えていた。

苦言を聞きながら、兄弟も下がこんな歳になるともうあんまり上下の隔たりはないなと思っていた。確かに長く生きてる分、経験は豊富なのである。その経験をベースにして、物事を型にはめてしまおうとする姿勢を感じたのである。

もしこの文章を当の本人達が読めばまた叱られるのだろうが…これこそが正に老いなのである。相手の言わんとすることを汲めない。認めなくて良いけれども汲まないと助言したことにはならない。自説を押しつけただけ。つまりは説教と同じなのである。

私は自分がそうなったと思った時、この仕事を辞めるべきだと思っている。
ただ、そんなに頑固になったら自らそれを認めるはずはないのだが…。

ま、とにかく。
兄さん、姉さん、すみません(^^)v
Trackback(-) comment*2 | 一筆示し参らせ候
2011/07/25 (Mon) 02:21

コピルアク

コピルアクというコーヒーの種類がある。希少種で高価である。独特の香りを持つ、知る人ぞ知る通のコーヒー。が、実はこのコーヒーには哀しい由来がある。

インドネシアのコーヒー園で働く貧しい農民はなんとかしてコーヒーを飲みたがったが、お金がない。そこでジャコウネコの糞の中に未消化のコーヒーの豆が含まれることを知り、それを丹念に洗い、飲んだ。たぶん、どこやらの通がそれを横取りして徐々に広がっていったのだろう。賛否両論。辛口の評では“うんちコーヒー”などと切り捨てる人もいるようだ。

この話が“最高の人生”に出てくる。モーガンフリーマンがジャックニコルソンを死の床でやっつけるのである。
大金持ちのあんたが好きなコーヒーは実はそんなコーヒーなんだぞ!と。このシーンにはぐっとこみ上げてくるものがある。初めて見て以来、コーヒー好きの私はコピルアクという名前をしっかり覚えてしまった。

でも、やはり美味しいコーヒーは茶道のお点前よろしく、一連の所作も美しく、それを眺めている間に漂う芳醇な香りを楽しみたい。今まで、そういう“マスター”は一人しか知らない。
おそらくもうご存命ではなかろうと思う。
Trackback(-) comment*2 | ちょっとした話
profil
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。