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2012/03/30 (Fri) 01:06

この国…という呼び方

日本のことを日本人が『この国』と呼ぶ。それも立場ある人に多い呼び方である。
政治家や評論家、文筆家。。。なぜ『日本』や『わが国』ではなく『この国』なんだろうか?聞いていて違和感を感じる。この呼び方には突き放したような冷たい響きがある。
私に思い当たるところでは、『この国』を使った著名人は司馬遼太郎である。そう…『この国のかたち』という作品がある。が、これはこれで良いと思うのである。日本という国の成り立ちを紐解いてゆこうとするのである。これでよい。

が、メディアに頻繁に顔を出す著名人が口語で『この国』とやると、お前さん一体何人?と問いたくなるのである。ま、その前に今の政権与党の所属議員の殆どにその質問をぶつけたいのであるが…。
で、この国である。前首相に至っては『君が代はなんだか元気がない。国歌たるものもっと元気な方が良い』などと堂々の国会答弁をした。驚きである。

この、『この国呼称』を指摘したのは青山繁晴氏である。わが意を得たり!私は自らの言葉に関する感受性が鈍っていないことに安堵した。彼はさらに言う。『大阪、維新の会』に『維新』という冠を使ってほしくない…そう付け加えた。

今、肩で風切る勢いの維新の会。それに向かってなかなかの勇気である。匿名で揶揄や批判は簡単だ。だが、彼のような立場の人間が流行に阿ることなくぶちかます姿は非常に男前!脱帽である。

ところで…『そこまで言って委員会』が最近、全然つまらない。これで三宅の久ちゃんが抜けたらもう見る価値なし。
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Trackback(-) comment*0 | 一筆示し参らせ候
2012/03/27 (Tue) 23:41

寒春

寒春…という言葉があるようだ。読んで字の如しで、春なのに寒いのである。
そう言えば何年か前、ふと、“最近、入学式の頃にはもうサクラが散っている”というような感覚をもった。が、ここ最近は、所謂温暖化しているはずなのに、なんだか春が寒いなと思っていた。
4月の初旬にある入学式に満開のサクラのアーチをくぐってピカピカの1年生達が登校する…。
これが日本の春である。そういう意味では今ぐらいの寒さがサクラの開花前には必要かもしれない。

暑さ 寒さも 彼岸まで…いや、今年はなかなかどうして彼岸を過ぎて呼気が白い日があった。
この週末、もう1回そんな寒気が来るようだ。

一月はいに 二月は逃げて 三月は去ろうとしている…。
月日が経つのは本当に早い。

やはり私はこの時期があまり得意ではない。
Trackback(-) comment*0 | 自分のこと
2012/03/18 (Sun) 02:32

哲学

百貨店のエレベーターに乗った。途中の階から親子三世代の一家が乗り込んで来た。年嵩の男児が携帯ゲーム機でゲームをしながら乗り込んで来た。母親は下の子を抱いてそれを笑いもせず見ている。祖母と思しき女性がゲームしながら歩いていたら“怒られるよ”と言いながら、でも辞めさせない。こんな風景に出くわすと、日本はもうだめかなと思わずにはいられない。親に哲学がないからである。

大阪市長がいくら頑張っても親が哲学を持っていなければ教育は変わらない。三者がそれぞれ己の権利ばかりを主張する。権利を振り回す前に義務は果たしたのか?と聞きたい。

大げさな話をすれば日本中哲学がない。好景気に浮かれてなんでもかでも見過ごしたツケが今回って来ただけである。経済がまさにそうではないか。中国に中国に…と皆が殺到した。何でも安いからという理由で。あの国が色々な部分でダメだとわかっていても“財界人”が頸をタテに振らぬ。

まだもの作りのノウハウを持っている間に国内に帰還した方がよいと思われる。
周りに居る子供の親指を見てほしい。指の腹が反り返っていないだろうか?
なぜ反り返るかお分かりだろうか?
昭和の子どもにはこんな子は居なかった。
Trackback(-) comment*0 | もの申す
2012/03/18 (Sun) 02:05

人の道

今まで塾に来てくれた子を見ていると二つのタイプに大別できる。何事にも積極的にかんできて、ここに我あり…が一つ目。決して先陣は飾らず。先頭集団にはいるが誰かの影に隠れて目立ちたくないタイプが二つ目。私はどうやら一つ目さんのようだ。

集団の中で埋もれたいのだがそんなことできたためしがない。“あれ?アライあの時居たっけ?”な~んて言われてみたい。忘れていた場でさえ“居てたやんっ!”と言われる始末だ。そういう性格というか特質はどうやら変わらないようだ。小学校の先生が言い当てていた。“おまえは目立つ!どうせ目立つんだからちゃんとせい!”…と。ちゃんとできているかどうかはわからないが、いっちょかみの性格を存分に生かし、厚く、熱く、暖かく生きていければそれはすごく幸せなことかもしれない。

手の平を返すというのが一番嫌いである。するのも、されるのも…。
Trackback(-) comment*2 | 一筆示し参らせ候
2012/03/17 (Sat) 02:22

Not NEET…!?

塾を閉じて2週間があっという間に過ぎ去ってしまった。
今だ、次の仕事は未定である。
こんなことでいいのか…?
いや、良い筈はない…。

が、その一方で、14年、いや今までの経緯を振り返りちょっとダレるくらい体を休めてもいいかもしれないという気持ちもある。昨日までKumaで、今日からは別のところでまた講師をするなどという器用さは持ち合わせていない。
いろんなことを考えた。不安にも楽天的にもなる。
いっそのこと全く違うことはできないのか…などと思うこともある。

ただ、そんなたくさんの要素を全部篩いに掛けていって残るのは、子どもだろうと思う。
どこかで子どもと関わっていたいという思いは消えない。
子どもにものを教える業界にこんなおっちゃんを一人くらい置いておくべきであろう。
そんな気がするこのごろである。

ところでニートっちゅのはもう私のような老頭児には当てはめない言葉と知った。
ただ、年齢が対象外ではあるが内容はドンズバ。教育、労働、職業訓練のいずれにも参加していない状態である。
俗にプー太郎と言う方がらしくていいかもしれぬ。

春がなかなか来ない。
アルミサッシの結露と格闘している毎日である。
Trackback(-) comment*0 | 自分のこと
2012/03/09 (Fri) 04:20

言の葉

私はあまり多くの友人を欲しない。
本当に安心して居られる人がそう何人もいるわけがないからだ。

最近、「繋がる」ということに非常に重きを置く人たちが増えてきた。
でも、それはどういう繋がりなのか。網のどこかで引っかかるように繋がっているだけではないのか?
そんな意地の悪い見方をしている。

もうすぐ東北の震災から1年になる。
こんなことを書くのは勇気が要るのだが…震災に関してあまりにも情報が多すぎて少々食傷気味なのである。
勿論、風化させてはいけないし、まだ復興もできていない。これから…の感が強い。
日本中がそれこそ繋がって支援すべきである。

が、ひとたび、瓦礫受け入れを…と市長が言えば、猛然と反論してくる市民がいる。
その根拠がイマイチ納得できない。

絆とか、支援とか、暖かい言葉が踊る。マスコミもこぞって煽る。
が、自分の町が汚染させるのではないか?と思うとさっと手のひらを返す。
これで繋がってると言えばうそになる。

ところで。。。
グーグルの検索窓に適当に名前を入れてみる。その人がフェイスブックを利用していれば、プロフィールがいとも簡単に出てくる。フェイスブック本体で知り合いを探すより、グーグルで探したほうが速いとはこれいかに?
そんな「繋がり」はご遠慮申し上げたい昭和(原)人である。
Trackback(-) comment*6 | 一筆示し参らせ候
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