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2009/10/27 (Tue) 02:18

景色

成績の良い子を“エライ”と称する親が多い。
ま、確かに勉強ができて、我が子が難関校に入学したりすると鼻は高い。
が、しかし、“その子”は本当に“エライ”のだろうか?と思う。

単に勉強するのが、否、テストで良い成績を上げるのが上手いだけではないのか?

私の語彙では、偉いとは…社会的地位や身分などが高い、人間として、りっぱですぐれている。または程度が甚だしいの二点だ。
世間の“エライ”は前者だろう。

ということは、勉強ができるだけでは“エライ”とは定義できない。
もしできるなら、刑事罰を受けても国立大出は、尚“エライ”ということになる。

自分の限界をできるだけ伸ばそうと懸命に勤勉にたゆまず努力する…これを以て“エライ”と称したい。そして、これが腑に落ちると子どもを見る目が変わってくる。
そういう意味で我が子はある種幸せで、ある種厳しい状況に置かれている。

そんな意味では、私は子ども達がその時々のハードルを越えてゆく入試というものは格好の鍛錬になると確信している。
本当は中高6カ年一貫教育であっても高校進学時には適性検査くらいの試験はやっておくべしである。

やはり大学入試センター試験はしっかり受験してほしいものである。
これこそ全員受験させる方向は取れないのかと思わないでもない。
ひと学年に300人以上居れば国立大学に一人や二人は必ず合格する素質の子が居て当たり前である。それができないということは、“あの子はエライねん”思想に見事に騙されている。

いや、君だって、エラクなれるのに…。
エラクなったらね、違う景色が見えるんだよ…。
Trackback(-) comment*0 | 分けられぬこと
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