2010/08/28 (Sat) 01:35

刑場公開

東京拘置所の刑場が公開された。
今、なぜこのタイミングで?と思うのだが、裁判員裁判で死刑が確定するとこういう風に人が殺されるんですよ…というブレーキにでもするつもりなのだろうか。
なんだか気色の悪い情報公開である。

死刑といっても結局それは法に則った殺人ではないのか?という論点が死刑廃止論の基本になっているのだろうが、私にはそこのところがどうしてもわからない。

人がたくさん集まってできた社会には秩序が必要である。
その秩序を己の勝手で乱す者、他人の安寧を踏みにじる者には罰を与え、そういう行為が繰り返されぬように歯止めをかけるというのが量刑の基本ではなかったか。

死刑になるのは余程のことである。
人が人を殺すということも予想もつかぬほどパワーが要るはずだ。
それを己の都合のためだけに複数の人の命を奪ったり、繰り返したりしたものが死刑になる。
十分すぎるほどの配慮を加害者には施している。

それでも尚且つ死刑は人道に外れるとおっしゃる方が居る。

例えば、自分の趣味嗜好のために子どもを誘拐し、陵辱し、殺す。それも何人も。
こんな輩を生かし続ける意義はどこにあるんだろうか。
こやつの将来に何を期待すればいいのか?
更生は誰がさせ、もし再犯を犯したらその責は誰が負えるのか。
否、誰にも負えない。

人の命の責任など誰にも取れない。
それを奪ったせめてもの償いに自分の命を投げ出す以外にない。
それのどこが非人道なのか。。。

どうも日本社会は未成年と犯罪者と酒飲みに甘すぎる気が私にはする。
Trackback(-) comment*2 | 一筆示し参らせ候
comment
野牛 #-
No title
死刑が確定した時点で人権というのはどこかへ吹き飛んでしまう都合のものらしい。
死刑制度が人権を軽んじていると指弾する連中が、処刑公開という行為そのもので死刑囚の人権を軽んじるわけです。死刑もまた人権蹂躙ですから二重に蹂躙してます。その死刑囚も死刑に値する罪、大概は殺人で、人権を踏みにじった過去がある。死刑という行為だけを単独で取り出して考えさせるというのもまた、犯行の被害者の人権を二重に蹂躙してます。面白がっちゃいけませんが、人権は伝票で何とかなりそうなくらい軽いですね。裁判員制度で犯罪行為も裁判員限定で公開してるわけですから、報道機関限定ということでなく、死刑宣告した裁判員にも強制的に参加させなきゃバランスが取れません。

スネークマンショーあたりが実況…あまりふざけたことを書くとkumaさんに迷惑がかかりますね。この辺にしときます。
2010/08/29(日) 03:20:36 | URL | edit
kuma #-
Re: No title
迷惑だなんてとんでもないです!胸がスカッとしました!
言葉の勢いだけではなく、筋の通った論点をお持ちだからこそですね。

問題の本質は、現場にいる人だけが語れるのかもしれませんが…。
死刑の執行に当たっては、兎に角複数で執り行うということを強調するのだと聞いたことがあります。
自分が殺したんだという自責の念にかられることから少しでも刑務官の心の負担を軽減しようとする意味合いなんだとか。
そんな話を思い起こしながら、今回の件を見ていると、結局は『利用』されているんだと私は感じました。

被害者に集まってもらい、その目の前で死刑を執行する。
アメリカ映画によくある光景です。
私、アメリカの法制度には明るくないですが、被害者の真っ直ぐな怒りと目には目を秩序が明確に見て取れて、
却って人道というものを感じます。

が、それこそ反対論者の恰好の的になるでしょうね。

それにしても、人を殺した輩の人権とは何なんでしょうか?わかりません。
2010/08/29(日) 04:15:41 | URL | edit
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