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2011/03/15 (Tue) 04:02

報道

テレビを見ることをやめてみて、意外にも報道というものの姿がおぼろげながら見えてきた気がしている。報道は広く公平なものだと思い込んでいたことが間違いだったことに気が付く。何故なら、何か出来事が起こるとそれを知るために探すからである。ところがテレビや新聞といったものを鵜呑みにしていると簡単に誘導されてしまうのだ。

大きな地震があった。各社我先にとばかりレポートをする。
事態はかなり深刻である。未確認な情報、専門家と称する人達の勝手なコメントが一人歩きする。
大衆の多くは悲惨な映像や被災者のコメントを垂れ流す報道を見て、地震を共有した錯覚に陥る。

被害に遭った人の気持ちと遠くで被害を見ている人の気持ちは全く違う。

それぞれが今何をすべきかは違う。それを旗振って明確にするのがセイジカではないのか。

停電の輪番のために格好良く担当大臣を決める前に加熱する垂れ流し報道を規制してはどうか。
この際、無駄な放送をカットすればかなり電気は節約できる。

簡単に応援のコメントを送る人が居るが、被災者の気持ちはなかなかわかりにくいものである。
実はそっとしておいてほしいかもしれない。
必要なものをそっと置いてくる…それが本当の心遣いではないか。
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