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2011/09/23 (Fri) 13:19

なりきり

所謂歴史という言葉は、自分の知らない時代のことをさす。
例えば、子ども達に歴史の授業をしていて、自分の知っている時代の話になると、居心地が悪い。まして、そこに書かれている論調が自分の感覚と違っていればなおさらである。
菅総理などはどんな風に教科書に載るのであろうか。

歴史には実にさまざまな人間が登場する。
今、大阪で“維新”などと大それた言葉を振りかざす連中がいる。確かに大阪はいろんなところが病んでいる。そこを突っつき、膿を出そうと言う考え自体は正しい。が、世の中の仕組みと言うものは複雑に絡み合ってできている。外科手術ばかりでは直らないのである。その大手術には不撓不屈の精神力を持ち、ひとかけらの功名心もないの奉仕の心で事にあたるリーダーが必要だ。

薄っぺらい政治家が昔の政治家の事を自分に重ねて悦に入ってるのは見ていて不愉快極まりないのだが、私個人としては、前言翻し常習犯の知事殿にそんな大それた言葉を遣ってほしくない。躓いたらすぐに訂正し、責められたら涙を流して許しを乞う。
維新などと言うのなら、一生大阪に奉仕する覚悟はあるのか?またそれを選ぶ有権者はほんとにあの知事でいいのか?熟考を要する。彼の横に宮崎を捨てた元芸能人知事が並んでいた。維新の会に同調するらしい。この面々を見ていると応援する気には到底なれない。

制度と言うものは一度壊したら簡単に元に戻せない。教育一つとっても、高飛車に宣言した案は府教委に反発されすでに腰砕けである。“現場の声を尊重した”と負け惜しむ。
大阪を健全にするのと、壊すだけ壊して後は知らんというのはわけが違う。

卦体な日本人に嫌な感じの奴が増えたものだ。怖いのはそういう輩が妙に評判がよい事だ。
見抜く目が弱っている、
Trackback(-) comment*0 | 世間のこと
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