2011/11/20 (Sun) 14:20

若い頃は先輩の教えに沿って子どもを見、保護者に対していた。しかし、やはりわが子を育てているうちに自らも考えるところ多く、大雑把に言うならそれが自分の成長のもとになって、子ども達に対する姿勢も変わり、親心も理解できるようになってきた。想像と実体験には雲泥の差がある。

もう卒業して久しいキッズが居る。二人のお子さんを見させて頂いた。今も時折連絡をもらう程度のかかわりが続いている。その子のお母さんの話をしたい。
お金の話をするのはなかなかデリケートでできれば避けて通りたいのだが、あえてする。
このお母さん、どんなに少額でも必ず新札に変えてきちんと封入し、しかもメモを添えて持たせてくださったのである。遠足も合宿も模擬テストも…ありとあらゆる費用を、である。
ある日、本人にこう告げた。気持ちはありがたいけれでも申し訳ないので、普通のお札でいいよ…。
すると後日、本人がメッセンジャーをしてくれた。“自分はこれくらいしか気持ちを表せない。だから新札に換える手間くらいはなんでもないのでさせてもらいます…”と。

そのお母さんは必ず遠足の解散後にメールを下さったものだ。今もその暖かい文面が懐かしい。

こんなに子どもを応援していて子どもが道を違えるはずがない。
上のお子さんは、なんだかんだと言いながら自分の世界を作ってしまう。もう社会人になったそうだ。下の子も決して勉強が得意だとは言いにくいが、この度自分の目標を見定め、動き始めた。二人のお子さんに囲まれてさぞや親御さんは目を細めているに相違ない。

子どもは厳しく躾けねばならないと思う。
しかし、厳しいときついは根本が別である。
しっかり食べる、寝る、着る…こういう基本的な暮らしを徹底的に定着させてはじめて親は子どもに正対できるとこの年になって気がついた。

今は個人を優先する時代である。それはいい。
しかし、少なくとも子どもが制服を着て学校に通う間は幾分たりとも子どもの犠牲になるべきである。
それができないなら子どもを持つべきではない。
子を捨てる親が多い。
そろそろ親という資格が明確に問われる時代が来るかもしれない。いや、それ位しなければ、国の宝は守れない。
実に情けない話ではあるのだが…。
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