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2013/05/04 (Sat) 00:25

福島さんや山口さん。それに志位さん…

5月3日は各地で『憲法改正を考える』セミナーみたいな催しが行われた。
当たり前の日本人の高等教育を受けた者なら日本国憲法の成り立ちくらいは知っている。
そしてかの吉田茂がギリギリの線でお仕着せ憲法を承諾したことも知っているはずである。
まずは国際社会に復帰することが至上命題だった敗戦国日本。
内政は後回しでよい…そんな妥協があった。
憲法はいつか変える。変えるべきだし変えられる…が気が付けば半世紀を過ぎてしまっていた。

そうこうしているうちにこのお仕着せ憲法を我々に日本人が苦しい中から捻り出したとでも言いたげな変な多国籍みたいな日本人が現れた。
彼らは云う。
わが日本国憲法は世界に類を見ない平和憲法である…と。
そして、改憲反対の根拠として上げるのが、改正の発議を3文の2から2分の1にすることは慎重でありたい…と口をそろえて云う。

世界に類を見ない平和憲法はその三大原則で『国民主権』を保障している。

すると、あれ?
国民が全員で審議できないから代議制を採っている日本。その議員たちは国民である。
その国民の代表の決定を信用できないということか!
これが表題に上げた3氏らの主張の根源であるのか!
すると彼らは国民よりももっと高い視座から国民を眺めて下さっているエライ方達のようだ。。。

フフフ。あほ抜かせ。
2分の1にした方がしょっちゅう改正できてええ憲法になるのがわからんか!
因みに。表題のお三方。揃いも揃って全員東大法学部卒!!!! 頭良いはずなのに、こんな簡単な理屈がなんでわからんねんやろうか?
頭良すぎて、わからんのかなぁ。
Trackback(-) comment*4 | 世間のこと
comment
K.Mu #-
96条1項改正
まず前提として、
96条1項はあくまで「発議」の要件です。
96条1項を改正するしないにかかわらず、改正を承認する国民投票の要件は過半数。

96条1項改正に反対する人達の主張は
「国民はバカだから「発議」の機会を増やしたら、賛成しちゃう」ってこと。
なめられたもんだわ。 
2013/05/09(木) 09:00:03 | URL | edit
K.Mu #-
もうひとつ
日本国憲法は、国民投票を経て制定された訳ではありません。 

以下 wikiより
1946年4月10日、衆議院議員総選挙後の4月17日、政府は、正式に条文化した「憲法改正草案」を公表し、枢密院に諮詢。
※もちろん、国会議員の半数の賛成があった訳ではない。 通常の法案と同じ内閣が「諮詢」。

4月22日、枢密院で、憲法改正草案第1回審査委員会が開催された(5月15日まで、8回開催)。幣原内閣が総辞職し、5月22日に第1次吉田内閣が発足したため、枢密院への諮詢は一旦撤回され、若干修正の上、5月27日に再諮詢。
5月29日、枢密院は草案審査委員会を再開(6月3日まで、3回開催)。この席上、吉田首相は、議会での修正は可能と言明した。6月8日、枢密院の本会議は、天皇臨席の下、第二読会以下を省略して直ちに憲法改正案の採決に入り、美濃部達吉・顧問官を除く起立者多数で可決した。これを受けて政府は、6月20日、大日本帝国憲法73条の憲法改正手続に従い、憲法改正案を衆議院に提出した。衆議院は6月25日から審議を開始し、8月24日、若干の修正を加えて、圧倒的多数(投票総数429票、賛成421票、反対8票)で可決した。
続いて、貴族院は8月26日に審議を開始し、10月6日、若干の修正を加えて可決した。翌7日、衆議院は貴族院回付案を可決し、帝国議会における憲法改正手続は全て終了した。

▲てな訳で、手続き的には今の憲法こそおかしいのですよ。
2013/05/09(木) 12:52:46 | URL | edit
K.Mu #-
補足
誤解を招く表記になったので、一部訂正しておきます。

国民投票によらず、憲法制定に当たっているのは、日本国憲法の制定は、大日本帝国憲法を「改正する」形式で行われたため、大日本帝国憲法第73条によって行われたからです。
第73条(口語訳)
1項 将来、この憲法の条項を改正する必要があるときは、勅命をもって、議案を帝国議会の議に付さなければならない。
2項 の場合において、両議院は、各々その総員の三分の二以上が出席しなければ、議事を開くことができない。出席議員の三分の二以上の多数を賛成がなければ、改正の議決をすることができない。

ところが 日本国憲法は、上諭で「朕は、日本國民の總意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、樞密顧問の諮詢及び帝國憲法第七十三條による帝國議會の議決を經た帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」として欽定憲法の体裁をとるのに対して、前文では「日本國民は、…ここに主權が國民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」として民定憲法の体裁をとっており、どう考えても矛盾! 

2013/05/09(木) 13:08:42 | URL | edit
kuma #-
初コメント、恐縮です
細かい点に私が言及してもK.Muさんには到底適いませんので控えます。

我々日本国民の多く、特に昭和30年代生まれあたりの世代は『正しくない歴史認識と卑屈教育』によって決して公平とは言いがたい教育を受けています。私も正直なところ眼にこびり付いた曇りガラスが剥がれたのは四十代になってから。

国民に主権が存し、国会が国の最高機関でかつ立法機関であると憲法が保障しているにもかかわらず憲法改正の発議すらできないというのでは片手落ちです。

改正の発議を3分の2を2分の1したらすぐに危険な憲法になると言うのは悪意に満ちた論法です。
一方で国民の政治不参加を嘆きながら他方では本当の意味での立憲政治に『国民』が参加することを頑なに拒絶する。日本にはどうやら『ウラ国民』が居るようですね。

どこかのあほな大統領の口真似ですが…少なくとも日本の戦後に関して正しい歴史認識を持てないような輩は日本国民とは呼べないと断言できます。そういう輩は今からでも遅くないからどうやって今の憲法が誕生したかちょっと勉強すればいい。
世界に胸をはれる素晴らしい平和憲法だ…などと心底言えなくなるはず。それでもわからないなら相当な読解力不足の人であろうかと思います。

貴重なコメント恐縮です。
2013/05/10(金) 03:22:12 | URL | edit
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