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2013/05/20 (Mon) 02:02

年月

同級生の集いに参加した時に自分達の年齢を考えると“還暦に集まる”なんて言ってないで早く会っておかないとどんどん友達が少なくなってしまう…などという笑えないジョークが出て、アラ還同窓会をすることになった。

先日、私の知り合いが早世した。五十代前半の死。平均寿命からすると三十年早い。同じ年代の人が逝くとショックが大きい。
今年私は、父親が亡くなった年齢になる。長兄はその歳を無事に終えたとき随分と意識していたことを後になって告白した。今の医学ならどうだったか知れないが、あの当時、父親の癌は体中に転移しており、腹を開けたがどこも切らずに15分で閉じたと後で聞かされた。魚の好きな、病院に行かない息災な男だった。が、一度の病が大きすぎた。

私は父親と縁が薄い。小学校の1年の途中で母親に付いて別れてた後、2~3ヶ月父親と暮らした記憶があるだけで、殆ど思い出や記憶がない。今、思うに五十八の男やもめの死はかなり寂しいものだった。

人は会えば必ずいつか別れる。そして運命はその人と会う回数をあらかじめ決めている。が、そうとは知らない現世の我々はその一度を大切にしないことが多々ある。相手が亡くなってから、こんなことになるんだったらなんであの時…と歯噛みする。
大切な人の死はだから生きることの大切さを再確認させてくれる。

私も父親の亡くなった年齢がまずは目標だった。敦盛ではないが、人生は五十年と余。あとはおまけ。そのおまけがどれだけあるのかはわからない。そういうことを意識し始めたら物の見え方が少し違ってくる。
前から漠然と思っていた、“穏やかに過ごしたい”という思いはここにどうやらコツがありそうだ。そんなことがやっとわかった。

こんな文章を書いたからといって、何か身の上に重篤な事態が起こったわけではない。
その事、念の為に書き添えておきたい。
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