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2007/07/13 (Fri) 01:26

多生の縁

袖振れ合うも多生の縁という。
神のセッティングした出会いに無駄などない。
その出会いが元で、平面な人生が三次元化することもあれば、
自堕落の世界に陥るかもしれぬ。
それもこれも引っくるめて、それでも無駄な出会いなどないと私は思っている。

今日、クマ塾の元スタッフが来てくれて、色々な話をした。
彼は今、ある高校で教鞭を執っている。
教育現場での難しさを思い知らされたらしい。
私はそんなことも色々あって、それが生徒を送り出すときに涙になるんだよと偉そうなことを言ってしまった。
どうか、熱い心を冷まさないでほしい。

私は、煎じ詰めて言えば、中学に子どもを送り込むことが仕事である。
しかし、子ども達を見ていて“まだ送り出せない”と思う子が少なくない。
こんなご時世だ。中学に合格したからもう塾はいらんだろうという考えは当然かもしれない。教育よりも次は成績が大事…そうなっても無理からぬことである。

私は常々、中学生にこそ伝えたいことがたくさんあると言っている。
しかし、現状は学校の補習的な指導に終始してしまっている。

中学受験が終わったからすべてがクリアできたわけではないのである。

今のクマ塾生を見ていて一番不安に思うのは“社会”である。
社会に対して興味を抱かない。
これで社会で点数を取れと言っても限界があろう。

また、国語力にも不安が多い。
今の6年生達としている授業を一番必要としているのは
中学生達である。

日本語が乱れている。
でも、それは今に始まったことではない。
私も随分乱暴な言葉を遣った。へんてこりんな言い回しもした。

今の子達を見ていると、そのことよりも語彙力があまりに貧相であることが目に付く。
語彙が貧相ということは精神年齢に影響する。

国語の力をどうすれば付けられるか?
ネットで探してみた。
大層立派な先生がそれぞれ持論を展開している。
しかし、そのどれもこれもが単に対処療法であり、テクニックである。

基本は読み、書き、話すである。
特に受験が蔓延してきた昨今、聞いて話すという力が非常に弱体している。外国語にヒアリングのテストがあるのに、国語にヒアリングも、スピーキングもない。
こんな妙な国語教育をしている国も珍しいかもしれない。

子ども達は、会話をしていないから、おかしな言い回しに気が付かない。
私達は子どもの頃新しい言い回しや言葉を仕入れたら、すぐにデビューさせてみる。そこで『それはお前、使い方が変だよ』と直される。
こんな思い出が多々ある。


今日、卒業生も来てくれた。彼は国語が大の苦手だ。
話がかみ合わないことも少なくなかった。
辛抱強く、『それおかしいよ』と指摘する。
今、彼の周囲にそんな人が居るのだろうか?

今の子ども達を見ていると、基礎固めなしで高層ビルを建てようとしているかのようだ。
国語力の衰退は、ひいては国の存亡に拘わる由々しき問題である。
大袈裟でもなんでもない。何故なら民がものを考えぬようになるからである。ものは言語で考えるのである。
貧相な語彙では、考えることも高が知れている。

私達は表意、表音の両文字を駆使できるからこその文化を持っている。
しかし、若者の風俗を見るにつけ、これはもう怺えきれないなと思うのである。
Trackback(-) comment*0 | 分けられぬこと
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