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2007/09/14 (Fri) 02:45

持てなすという心

我が子の授業参観に行ってきた。
いつもレザースニーカーを履いている自然人の足は
偶に革靴を履くと、もう下半身がパンパンに張ってしまって大変だった。

どこの学校でも事情は同じであろうと思うが、参観は立ち見である。
実はこれは決して楽ではない。
私達のような私教育のフィールドから言わせてもらえば、親を呼んでおいて、立ち見はなかろうと思う。
確かに全員の親が来たらそれは無理である。
が、方法はいくらもある。

持てなす心に欠けているだけである。
この辺り、私学もやはり公教育だなと歴然と思う。
先日塾生のお母さんから聞いた話では、参観に行ったところ先生が急病で自習だったという。
私には到底考え付かない処理である。
誰か一人くらい居るであろう。
それくらいのピンチヒッターもいないようなかつかつの態勢でいいのか?と突っ込みたくなる。

先日、ある学校の先生とお話する機会を得た。
私は最近この学校をマークしている。

一口に私学と言っても多様である。
その先生は中一の初めの三ヶ月、数学で算数を教えていたという。
学校の方針であるという。いいことだ。

そんなこと不要な生徒ばかりの学校ならそれでいいかもしれない。
しかし、必要な子もいる。

小学校で習う計算手法だの式だの文章題だのという基本をもう一度おさらいするなかで、“受験の垢”を払い落とす…。
絶対必要である。
ともすれば、算数はパズル的当て勘解法にもなりかねないし、
社会は太字過剰反応型記憶詰め込み学習に陥っているかもしれない。

これと同じことを娘の学校の先生も仰っていたが、
実情は違う。
走って、走って…逃げ切ろうというのか。

保護者の一部に他校の情報を得て、比較検討し、同じ事を要求する向きがあるという。内政干渉である。
残念ながら現状は他校との差別化はない。

話を元に戻そう。
参観の意義はどこにあるのだろうか?
再検討が必要だ。

親に立ち見をさせて、それでも“子どもは良い学校に入学したものだ”と得心しながら帰路につきたい。
Trackback(-) comment*0 | 分けられぬこと
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