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2007/11/28 (Wed) 15:39

鍛えるべきは…

受験を第一のハードルと捉え指導している以上は、やはり合格という褒美は欲しい。そして、進学教室と銘打った以上は少しでも上位の難関校を狙わせるのだろうと思われ勝ちである。しかし、私の方針は必ずしもそうではない。
中学受験までに仕上げてしまう必要はないのだという気持ちが、最近強くなってきた。

“頭がいい”という言い方があるが、これはどういう意味だろうか?
例えば…。
国立東北大学まで出て、防衛庁で神とまで言われるほど権勢を誇ったキャリア官僚が、金に目が眩んで業者から派手な賄賂を受け、口利きをする。山田洋行だけではない。探せばいくらでも出てくる。(何なら情報提供してもいいくらいだ。)

また、灘中高、東大という絵に描いたようなエリートが、株式ごっこが上手くなりすぎて、会社を自由に出来ると勘違いし、挙げ句に関西人にとって一種の文化である阪神と阪急を合併させるという愚挙を成立させてしまう。一体これが関西人にとってどういう意味を持つのかがヤツにわかれば彼は関西ではもう暮らしてゆけない。

他にもいちいち挙げたらきりがないほど頭がいいと言われたヤツのご乱行がある。こんな輩を頭がいいと言っていいのだろうか。
どこだったかの少数先住民を国が“保護してやるのだ”と意気込んで、“狩りのために飛び道具”を提供しようと申し出た。ところが先住民達は断った。
曰く。
“捕り過ぎは結局自分達の首を自分で絞める事になる”と。
とても賢いなと思う。

勉強をみていると、要領が良くてお利口だなぁと思う子どもに出会うことが多い。しかし、道理や情けを理解できる子や、できるようになる子は少ない。

私がこの仕事を始めた頃には確かに存在したのだから、今も居ていいはずだ。何故そんな子を見掛けなくなったのだろうか。

日本人という民族は、気候や風土、言語などのお陰で別段余計な訓練をせずとも元々利口なのである。普通にニホンジンの暮らしをし、年齢なりの習得をしてゆけばよい。

鍛えるべきは、人としての精神分野ではないのかと最近は思うようになった。小賢しい要領ばかりの人間はもう要らない。
落ち着いた洞察と人の立場をわかったり、想像できたりする人がこれからは必要である。

勉強がうまくできない子は想像力が乏しいということを小さなお子さんを持つお母さんは忘れないで欲しい。
小さい頃からあちこちの幼児教室に通わせても、
決して“頭は良くならない”のである。
Trackback(-) comment*0 | 分けられぬこと
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