2008/06/19 (Thu) 02:44

R-18

先日の秋葉原無差別殺傷事件。
そのことについてこのブログでも少し触れた。まだメディアを賑わす大ニュースになっている。至極当然のことである。あちこちで色んな再犯防止策が挙がっている。

そんなニュースの影に隠れて、私はちょっと不快に思っていることがある。
それは凄惨な事件の現場をケータイで写真に撮っている人間が多いことである。中にはニコニコしながら撮っている不心得者がいる。いつの間に日本人はこんなに恥ずかしい民族になってしまったのだろうか。こういう人たちは本当に家族が同じ目にでも遭遇しなければ何も想像できない貧弱な精神の持ち主なのだろうと思う。

つまり、よく言われていることだが、シリコンの中で展開されている仮想とリセットの効かない現実の境界線を故意に曖昧にしているように思えてならない。
ちゃんとわかっているはずなのに、そんなん知らんかったし…ってな具合に。

実現不可能であることは百も二百も三百も承知で敢えて言う。
ケータイとパソコンと言いたいところだが、せめてケータイだけはR-18にしてはどうだろうか。
結局ケータイを持っていたって、犯罪被害から逃れられるものではないのはここ最近の事件で思い知ったはずだ。

ならば、何の生産活動も経済効果ももたらさない子どもにケータイなどというおもちゃを持たせる理由がない。全く百害あって一利もなしだ。
子ども達のケータイの使い方を見ているとあきれ果ててしまう。ゲーム、HP、プロフ、掲示板、SNS…。何でもできるのである。うちの子に限っては絶対に通用しない。

本当に出来ることなら有害ブツを子どもから取り上げてほしいものだ。
懸命な親なら理解できるはずだ。この子がケータイを触らなくなったら…と想像してほしい。そして、ケータイを持たせてからの変化と対照してみればいい。

どんなに安くても月5000円近い使用料にはなるだろう。すると一年で60000円である。何かちょっとした物が買える。美味しい物だって食べられる。良い本もいっぱい買える。ギターなら中級器の端くれくらい買える金額だ。勿体ない。だけでなく、わざわざお金払って子どもに毒を盛るようなものだ。

私学では禁止している学校が多い。
でも現実は黙認だ。強い態度には出ない。いや出られないのだ。何故か?
そういう学校の入試データを見れば疑問は氷解する。
腐っても鯛とまでは言わぬが、子どもに毅然とできなくなった大人には教育現場に立つ資格はない。

学校で禁止してくれないだろうか…と期待する親も潜在的にはいる。みな、子どもに遠慮しているのである。だから国が禁止するより方法はないのである。

このままでは本当に“ヤバイ”のである。勿論若者の遣う“ヤバイ”とは同音異義語である( ̄∀ ̄*)
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